日本をよくする一歩 豊洲と築地の闇 都庁vs石原vs・・・。3
石原都政になり変わったこと。
japicの官民合作のプロジェクトで都庁幹部は褒美としてjapic関連企業への天下りが出来ていたのが、意に沿わない実力派の幹部を都庁から早期勧奨退職させ、独裁的な体制を築いた浜渦氏が副知事になり出来なくなってきた。
ここからが都庁の逆襲がはじまる。
2005年3月には、都が練馬区に建設した東京都社会福祉総合学院について都議会予算委で浜渦が民主党に質問を依頼した事実が35年ぶりに設置された百条委員会で判明し
2005年5月12日には同委員会は質問依頼を否定した浜渦副知事の偽証を認定した
2005年6月2日の都議会で問責決議が可決され7月副知事を辞職する。
ここで内田都議は、やりあった浜渦氏と仲が悪くなったかというとそうでない。この百条委員会は都庁幹部から内田都議や一部の都議にリークされたことによって行われた百条委員会であって、都庁幹部による浜渦落としの百条委員会であったので、内田都議は浜渦氏の説明によって、疑いははれている。
続く