日本をよくする一歩 国を憂う政治

この国を憂い、反日勢力を排除する政治。

北朝鮮を操るのは誰か?

習主席には北朝鮮への制裁強化は出来ない。何故なら中国共産党最高指導部の影響があるからです。金正恩は最高指導部の一部がバックについているので強気でいられる。習近平北朝鮮金正恩とは一度も首脳会談は出来ていないことからも、北朝鮮には影響力が低いと思われます。
では最高指導部の誰がバックにいるか?
 中国のトップ指導者にはチャイナセブン(中国共産党常務委員)と呼ばれる人たちがいます。
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  ◎チャイナセブン
  序列第1位/習近平国家主席 ・・・・・・ 太子党
  序列第2位/李克強首相 ・・・・・・・・ 共青団派
  序列第3位/張徳江全人代常務委員 ・・・ 江沢民
  序列第4位/兪正声人民政治協会議主席 ・・ 太子党
  序列第5位/瀏雲山政治局常務委員 ・・・ 江沢民
  序列第6位/王岐山中央規律検査委員会書記  太子党
  序列第7位/張高麗副首相 ・・・・・・・ 江沢民
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 このチャイナセブンの序列3位に張徳江という人物がいます。
張徳江氏は、江沢民派に属しており、太子党習近平氏とは対立
関係にあります。
 江沢民といえば、上海閥と呼ばれ、北朝鮮とは直接関係がないように見えます。しかし、中華人民共和国建国当時の1949年の頃の江沢民の職場は北朝鮮と隣接している中国東北部吉林省にありました。
 江氏は、50年代、長春第一汽車製造廠(自動車製造工場)に勤務し、モスクワのスターリン自動車工場で研修を受け、江氏は昇格していく段階で、張徳江をトップにした吉林省の仲間を増やし、吉林省の幹部を、次々と高級幹部に抜擢していった。
この張氏は中国・延辺大学朝鮮学部で学び、北朝鮮金日成総合大学経済学部に留学しており、朝鮮語が巧みに使いこなす。

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 江氏が国家主席就任翌年の1990年3月、初の外遊先は「兄弟国」の北朝鮮で、金正日総書記と会談した際には、張氏が通訳を務めた。
また、金正日が2006年1月に中国・広東州大学街を視察した際、当時、広東省委員会書記だった張氏が随行し、江氏が同伴している。         
 このようにして金正日前総書記時代に張徳江氏は、「中国の代理人」の地位を固め、瀋陽軍区を中心に北朝鮮との関係を一層緊密化し、序列3位の地位にまで昇格した。

 そして、習近平氏が政権の座に就くと、人民解放軍の軍制改革を断行し従来の7大軍区を5軍区に再編し、すべてを北京でコントロールしようとしたが、旧瀋陽軍区を含む「北部軍区」は再編によってかえって勢力は拡大し、思惑通りにいかなかった。

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 事実上張徳江氏が率いる北部軍区が金正恩体制の後盾になっており、食料もエネルギーも北部軍区や遼寧省の国境町、丹東市周辺の軍産企業から北朝鮮に流れており、核技術についても北朝鮮へ供与されている。また、張徳江氏は、韓国の大統領候補 文在寅候補と面談し大統領選を有利に進めていました。
 そこで習主席は北朝鮮との関係を半ば放棄していたが、韓国の朴政権に接近することによって、韓国の属国化に動いたのです。そのため、一時朴政権は中国に大きく傾斜し、2015年9月、北京の天安門広場で行われた「抗日戦勝70年記念式典」に招待された朴槿恵はロシアのプーチン大統領の隣りという破格の厚遇を受けていましたが、朴槿恵北朝鮮問題を解決させるために習近平に近づいたのに、何もしてくれない習近平に愛想を尽かして、日米韓の連携に戻り、習近平への仕返しとしてTHAADの配備を容認したと言われています。
 このことからも、トランプ大統領との会談で、北朝鮮の核開発抑制に向けた協力強化で一致しても、習主席にはそれを実行することは期待は出来ません。しかし、米軍の北朝鮮攻撃やいわゆる金正恩斬首作戦への協力ぐらいしか出来ません。
米中首脳会談の後から、韓国大統領候補の最有力候補だった 文在寅が形勢が逆転したのをみても、米国の影響力がかなりある事をうかがい知ることができます。