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日本をよくする一歩 国を憂う政治

この国を憂い、反日勢力を排除する政治。

共産主義4 何故生んだ殺人鬼達を生んだか。  日本をよくする一歩

共産主義が生んだ殺人鬼達

共産主義の怖さ

下記の数字はかなり幅がありますが-、共産主義政権下で行われた虐殺死者の数です。共産主義の歴史は粛清の歴史でもあります。

中国   (毛沢東)                1億人

旧ソ連  (スターリン)        3000万人

カンボジア (ポルポト)       300万人

金日成 (北朝鮮)          160万人

 

この数字は戦争犠牲者ではありません。共産主義革命下での犠牲者の数です。

公式文書として資料が発見されているわけではないので、正確ではありませんが、政府の調査資料を基にしているのでけっこう出回っている数字です。

南京大虐殺などという、ありもしないでっち上げのもとは違います。

共産主義思想の政党が政権を握ると、ここまで行ってしまうのでとても怖いわけです。

弱小政党であれば、「なんでも反対」程度で騒ぐだけとなりますが、万が一にも政権をとらせてはいけません。

と同時に、共産党独裁政権下の暴力国家の侵略を許してもいけません。

もしそのような事態になったならば、自由の制限程度ではすみません。

まず知識人からの大量粛清、大量虐殺に必ずなります。

そして、日本国民は奴隷への道を進むこととなります。

時々資料が発見されたり、関係者からの聞き取りからの予測であったり、発見された骸骨の数からの推測であったりと様々ですが、これがマルクス・レーニン主義と訳されることが多い共産主義の実態です。


このような事実は既に様々な方々により検証され、書籍となって販売されています。

しかしながら、なかなかテレビ等でお茶の間に流される回数は、まだ少ないようです。

それは、大手マスコミのうちの多くは未だに洗脳された人々が牛耳っているからだと思えます。

かれらはなかなか真実の報道をしてくれません。

これまで数十年にわたり共産主義思想の片棒をかついできたので、そんなに簡単には転向できないのかもしれません。

過去の自分達の行いの否定、自己否定につながるからです。

 

ここで疑問に思われる方もいらっしゃると思います。
それは、共産主義思想が生まれた時点で、(この事態が)予測できなかったか、という疑問です。

もちろん、予測はされていました。
自由主義思想のもとに生まれた国家の方では、共産主義思想は危険な思想なのでどこかでくい止めなければいけない、と考えました。

朝鮮戦争(1950年)、ベトナム戦争(1962年)等がそのための戦いです。
舞台は韓国とベトナムですが、その実態は、米国対ソ連、中国です。

米国はご承知のようにキリスト教文化圏です。
国民のうちの70%がキリスト教信者です。
大統領就任式で聖書に手をおいて宣誓する、という有名な儀式がありますが、翻訳すると、「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う。」と、宣誓します。
そして、最後に、「So help me God .(神よ ご照覧あれ)」と、付け加えるのが慣例となっているようです。

米国は、

①神(創造主)と、
②神のひとり子であるキリストと、
③神により造られた(生命・魂を吹き込まれた)人間

という聖書の記述を信じている国家です。

従って、
唯物論(神を否定し、人間はたんぱく質のかたまりであり、単なる物質に過ぎない。)でできている共産主義思想、無神論国家の危険性をすぐに見破ることができたわけです。

無神論国家の行く末を見抜いていたといえると思います。

では、我が国は見抜くことができたのでしょうか?

終戦後、GHQにより強制された「昭和天皇人間宣言」により、国家としての骨格がグラついたのは事実だと思います。
現人神として奉られていた天皇が、神の座から降り、国民の象徴といったレベルとなり、国家元首が誰なのかさえがはっきりしなくなったからです。

しかしながら、二千数百年の歴史を誇る国家神道は揺るがず、また、仏教も戦後復活したので、我が国民から宗教心がなくなることはありませんでした。
とくに自民党を中心とする国家指導者の信仰心は厚く、共産主義者は「あか」と呼ばれ、社会の片隅に追いやられていきました。

学生運動で(短期間)共産主義思想にかぶれた若者も、その多くは社会人になると現実世界に戻りました。

結局、信仰が唯物論無神論に勝利したといえると思います。

国民の神仏を信じるチカラ、目に見えないものを信じるチカラが、大虐殺大粛清を防いだといえると思います。


共産主義者の共通の特色。

①頭が良い
②人間として純粋である
③まじめな性格である
④性格がとてもやさしい
⑤よく仕事をする
⑥けっこう正義感が強い
⑦既成の権力に対して(少しばかり)反抗的(特別問題となるほどではないが・・)
⑧宗教に対して否定的である

社会人として人並みかそれ以上の仕事ができる方々ばかりです。

とても暴力革命ができるようなタイプではないので、社会人となってからのどこかの時点で、世の中との折り合いをつけてバリバリと仕事をしているのだろうと推測しています。

人間は権力を持つと、変わってしまいます。

普段はとても大人しくて寡黙なヒトが、すこしお酒が入ると突然おしゃべりになったり、乱暴になったりするのと同じように。

宗教は阿片だから近づくな!といったのは、マルクスですが、
本当は人は権力を持つと魂を悪魔に乗っ取られてしまうのです。

それでも権力を持ちたがるのが悲しい人間の性です。

それに気が付き、選挙により代表者を選ぶ民主主義制度が生まれました。
投票により権力者を選択できるような仕組みを作ったのが、悲しい闘争の歴史から学んだ先人の知恵だったんです。

まだ選挙制度のない国家がありますが、それは武力により民衆が押さえ込まれている国家です。普通の国になるのにあとどれほどの血が必要となるのでしょうか?

 


1969年、東大安田講堂事件では、機動隊は催涙弾、放水で攻めました。
対する学生側は鉄パイプ、火炎ビン、硫酸等。
たいていの場合、機動隊は盾、警棒、放水、催涙弾
学生側は、鉄パイプ、火炎ビン、投石でした。

1989年、中国天安門事件では、無防備な学生や市民に対して共産党軍(人民解放軍)は戦車を繰り出し、発砲しています。
人民解放軍が無抵抗の人民に対して発砲しています。)
報道管制により詳しい被害等は明らかにされていませんが、ウィキリークスでは、市民側死者は1000人となっているようです。

神仏を尊ぶ日本では、革命により政府を転覆させようとする国民が火炎瓶を投げつけてきても、発砲はしません。
なんとか取り押さえて、逮捕します。
法により裁きます。
これが法治国家です。

無神論国家である中国では、抗議の集会を開くために集まった無抵抗の国民に対して、発砲し射殺します。戦車で踏み潰します。

どうしてこのように同じ法治国家のはずなのに差がでるのか?
それは、人間に対する捉え方に根本的な違いがあるからです。

共産主義思想の中核を成す考え方、人間の捉え方は、「機械の部品」です。
共産主義思想に反対する人間は「壊れた機械の部品」なので取り替えないといけない、と考えるわけです。
「取り替える」ということは、「殺す」ということです。
いとも簡単に人間を殺してしまうんです。

神仏を尊ぶ側が、どう考えるかというと、人間神の子です。
神仏を信じない人間に対しても、同じです。
信じないからといって、その人が神の子ではないとは思いません。
神仏を信じようが信じまいが、神の子、仏の子に変わりはありません。
なぜならば、神仏が自分に似せて人類を創造したからです。
悪魔が人間を作ったわけではありません。
たんぱく質が偶然に結合して出来たわけでもありません。

神仏が明確な意思のもとに創造したもの、それが人類なんです。
だから、辛抱強くそこに気が付くまで待っているんです。
 

共産主義思想を確立し、人間機械(の部品)論を説いたマルクスについて、

どうして、こんなに酷い思想を思いついたのか?

簡単にいうと、

・貧乏な自分を正当化するために行なった、
・こころの奥にあったのは、豊かな層(特に企業家等)に対する嫉妬心

だと分析されています。

なりたかった大学教授になれず、また官僚への道も閉ざされ、努力しても豊かになれない自分自身を正当化するための理論を構築した、というわけです。


結局、共産主義思想を採用した国家は、、

「貧しさを正当化する理論を実践すると、貧しくなる。」という当たり前のことを、国家レベルで実験した、ということです。

指導者が、理想に燃えユートピア国家の実現を目指していたというよりも、個人の野望実現のために共産主義思想を利用したと言われています。

嫉妬からは何も生み出せず、貧しさを正当化すると、当然のように貧しくなるということです。

 

              

    日本をよくする一歩  共産主義 1

               共産主義 2

               共産主義 3

               共産主義 4