日本をよくする一歩 国を憂う政治

この国を憂い、反日勢力を排除する政治。

辻本清美を覚醒させた三人の男

 

小田実 売国奴道に誘った 生みの親

大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、
学制改革により新制大阪府夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科教師。

この時に大学浪人中だった、高槻市のうどん屋の娘・辻元を左翼の道に引っ張った。

1959年、米フルブライト基金により渡米。その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけ、一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。現在のバックパッカーの走りともいえ、その体験記

『何でも見てやろう』はベストセラーとなり、小田実の名前も一躍有名になった。
一枚の航空券をもって世界を駆け巡る習慣はその後も続き、小田実の作家活動・思想形成の基本的スタイルとなった。九条の会の呼びかけ人の一人で、KGBから資金・物理的援助を受けベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成。

2007年7月30日、胃がんのため東京都内の病院で死去。享年75。

 

加藤紘一   政界のイロハを教えた 育ての親

辻元さんは、加藤紘一の死去に際し

「1996年、私が国会議員になった直後から政治のイロハを教えてくださった(略)リベラル保守の政治のありようと政治の作法を教えて頂いたのも加藤先生でした。私にとっては、政治の師であり、人生の恩人です。今日、活動を続けられるのも加藤先生のおかげです。」と、嘆き悲しんでいる。

辻元清美加藤紘一の接点は、彼女が国会議員になる前から。北朝鮮への人道支援として米を送る事業に二人の深い関係がある。

 

北川明  内縁の夫

北川は昭和50年、スウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮
捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵。西ドイツの日本人商社員誘拐
身代金奪取作戦に参加予定だったのが未遂に終わり、公安調査庁
ずっと動向を調査してきた要注意人物。

 

  日本赤軍 北川明