日本をよくする一歩 国を憂う政治

この国を憂い、反日勢力を排除する政治。

アメリカの資料から見た従軍慰安婦。

 

米国国立公文書記録管理局(NARA)の文書箱の中には、韓国人「性奴隷」(「慰安婦」という表記
は日本軍の立場で使われた)20人に対する捕虜尋問記録がある。

 

◆NARA=米国国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)
の略称。米国の歴史に関する記録を保存・提供する独立機関。19世紀末以降の韓国関連の写真およ
そ10万枚を所蔵している。国史編纂委員会は01年から国外所在の韓国史の資料を収集してきた。今
回のシリーズに載せられる解放後の写真は、ほとんどが在韓米軍に配属された米陸軍通信隊
(Signal Corps)写真部隊(Photo Detachment)が撮影した。

アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号。
http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html

では、その全部に何が書いてあるかを以下に。
-------------------
慰安婦は娼婦又は兵士の便宜の為に日本軍に連れ歩かれた玄人の従軍部隊以外の
何ものでもない、慰安婦達は良い暮らし向きであった。
食料や身の回りの物は特に制限されず、望むものを買うに充分なお金を持っていた。
通常二階建ての大きな建物に住んでおり、一人一部屋を与えられていた。食事は
経営者が用意したものであった。食事や生活用品はそれほど切り詰められていた
わけでもなく、彼女らは金を多くもっていたので、欲しいものを買うことができた。
兵士からの 贈り物に加えて、衣類、靴、タバコ、化粧品を買うことができた。
ビルマにいる間、彼女らは(日本軍)将兵と共にスポーツをして楽しんだり、
ピクニックや娯 楽、夕食会に参加した。彼女らは蓄音機(レコード・プレーヤー)
を持っており、町に買い物に出ることを許されていた。

慰安婦達は月額1500円を受け取っていて、750円を楼主にとられていた。「楼主」は
、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、
彼女たちは生活困難に陥った。
慰安婦の平均年齢は25歳。慰安婦達の健康状態は良かった。慰安婦達は自由に客
を拒否する特権を持っていて、客が酷く酔っ払っている時はしばしば拒否してい
た。兵士達が慰安婦に結婚を申し込むこと事例がたくさんあり、また、実際に
結婚する者達が居た。
----------------

と書かれている。
さて、日本軍は潤沢に売春の代金を支払ってます。慰安婦はそれを受け取り豊にくらしていたのだが、
韓国人慰安婦の楼主だけが、慰安婦から受け取ったお金をむしり取ろうとしていました。 
まあ、そんな韓国人慰安婦の楼主がいても、慰安婦は他で生きるより豊かに暮らしていた。

文章の中に明確に「軍を追従するプロの人たち」と米軍が書いている。

 

報告書の原文URLと別翻訳。
http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html

 

・「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。もしくは「野営追随プロ」
・募集は日本軍が直接行ったわけではなく、業者が仲介した。
・応募者の多くは無学であり、家族の借金のために数百円の前金を受取り契約した。
慰安婦の収入は総売上げの半分程度であり、平均的な月収は 750円程度(当時、日本軍将校(少尉)の月給は 70円)。
・食事は十分であり、軍医による定期的な健康診断も実施され、慰安婦の健康状態は良好であった。
・規則により夜間と早朝の接客は禁止されていた。但し、将校は割増料金を払う事で宿泊できた。
慰安婦には避妊具が支給され、客を拒否する特権を持っていた。例えば、酔った客などはしばしば拒否した。
・週休1日制であり、オフの日に健康診断が行われた。
・オフには、客の将兵とスポーツやピクニック、デートや食事等を楽しむ事もあった。
・町にショッピングに行くことが許されており、その為のお金も持っていた。
・借金を返済し、契約条件を満たした者は、帰国が可能であった。
・客から求婚する例が多くあり、実際に結婚に至った例もある。
慰安婦の平均年齢25歳


又、この資料には「生活及び労働の状況」という項目があり、実に詳しく慰安婦の生活の状況を示 している。
それを以下に紹介する。
慰安婦は靴・紙巻きタバコ・化粧品を買う事ができた。彼女達はビルマ滞在中、将兵と一緒にスポ ーツ行事に参加して過ごし、又、ピクニック・演芸会・夕食会に出席していた。彼女達は蓄音機を持 っており、都会に買い物に出掛ける事も許されていた。」
又、当時の慰安婦の待遇としては、本人には一カ月毎に麦粉2袋、その家族には月毎にアワ・ヒエ などの雑穀30キロを配給、慰安婦の衣食住、医薬品、化粧品は軍が無料配給、旅費も軍が負担する という、新聞・テレビの自虐的報道内容とは掛け離れたものとなっている。

 

朝日新聞を信用するかそれともアメリカの公文書を信用するか?