日本をよくする一歩 国を憂う政治

この国を憂い、反日勢力を排除する政治。

南京大虐殺の矛盾

 南京大虐殺に多くの矛盾があり、虐殺が無かったのだから矛盾が解決するはずもありません。

支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に
約300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝しましたが、
1回も南京で虐殺があったとは言いませんでした。

国共合作下の支那国民党は南京戦直前の1937年11月、
中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。
国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、
南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの間に、
国際宣伝処は漢口において約300回の記者会見を行い、
参加した外国人記者・外国公館職員は毎回平均35名と記録されています。
しかし、この約300回の記者会見において、ただの一度として
「南京で日本軍が市民虐殺を行なった」とか「捕虜の不法殺害があった」
などという発表はされたことがありませんし、外国人記者から
南京大虐殺」に関する質問があったという記録も全くありません。

 

2~3ヶ月の間に数万件の強姦が発生したのなら、
その10ヶ月後に出産する女性が劇的に急増するはずです。
同時に性病の流行も引き起こします。

1945年のベルリン陥落時、
約10万人のドイツ女性がソ連兵に強姦され、約1万人が自殺しました。
その10万人の強姦を受けた女性たちの23%が妊娠し、
そのうちの31%が中絶し、残りのほとんどがソ連兵の子供を生みました。
これらの事実は、
ベルリンの病院に残された産婦人科の受診簿が語っています。

アイリス・チャンは南京で2万から8万人の女性が
日本兵から強姦を受けたと主張していますが、
ベルリンの事件から考えると、
事件の10ヶ月後には、数千から2万人近くの日本兵の子供が
一斉に生まれる現象が南京で起きたはずです。
しかし、そのような記録はありません。

韓国軍がベトナムでおこなった強姦でも結果としてライダイハンという混血児がいます。

 

いわゆる「虐殺あった派」も、
南京の「民間人」虐殺はなかったと認めている人が多い。

現在の論争の中心は、
敵兵が降伏してきたのではなく、こちらから便衣兵を発見して捉え、
一旦、拘束した敵兵を処刑場所まで連行して処刑した行為が、
国際法違反にあたるのかが最大の焦点になっていると思われる。

反論としては、

【1】戦闘中であった。
戦闘中、降伏せずに民間服を着て逃亡を企てて潜伏しており、
それは明らかな敵対行為であり、即時殺害でも当然である。

【2】戦数理論(=戦時非常事由、交戦条理)。
たとえ軍服の敵兵が投降してきたとしても、
その人数が1万人など大量の捕虜をかかえることになると、
拘束しておく場所や食料調達などの管理が困難になる。
かといって自由に釈放すると、また武器を取って攻撃して来る恐れもある。
まだ戦争は終わっていなかったのだ。
したがって投降の拒否をして処刑しても、
やむを得ない場合が生じることも考えられる。
このように戦争時の「やむを得ない行為の発生」を認めざるを得ないという
考え方が、いわゆる「戦数」理論(=戦時非常事由、交戦条理)です。


戦争中に敵の正規兵を殺害することは問題ありませんし、
敵兵を捕虜にするかどうかは、こちらの兵の判断として認められていました。

交戦資格のある者だけが捕虜になる資格がありましたが、
民間服を着た敵兵は交戦資格がないので
捕虜になる資格はありませんでしたし、

たとえ捕虜になったとしても、
1907年ハーグ陸戦条約や1929年ジュネーブ俘虜取扱条約には、
「捕虜を裁判にかけなければならない」という規定はありません。

多くの中国兵が民間服に着替えて安全区に潜伏していたから
日本軍は兵民分離しなければなりませんでした。

兵も民間人も関係なく大虐殺するのなら兵民分離する意味はなく、
安全区ごと砲撃すれば済むことでした。

敵兵に間違われて殺害された民間人がいたのなら、
そもそも多くの中国兵が民間服に着替えて
安全区に潜伏していたのが原因です。

便衣兵戦術は民間人の被害が増大するから禁止されているのです。

もし、敵対する意思がないのなら組織的に投降すべきでした。

 

旧日本軍が民間人を殺害したというのなら、
その死因を明らかにしなければならない。

剖検したのか、その結果何がわかったのか、
そういう証拠を示さなければならない。

おかしなことに、死因を明らかにした書面が一切示されていない。

そんな連中の言うことを誰が信じる? ということだ。

医学的に他殺であるとの証拠は出てこない。

原爆の場合、原爆病院の前身となる病院で剖検している。
焼け野原にある崩れかけた病院の一区画に剖検室を作っている。

南京の場合は不思議なことにプロトコール
すなわち剖検記録といったものが出てこない。

検案書すらないのに、死因も何も解明されていないのに、
なぜ虐殺であると断定できるのか?

他殺だと断言するのであれば、誰がどのようにして死んだのかを
明らかにしないと話が始まらない。