日本をよくする一歩 国を憂う政治

この国を憂い、反日勢力を排除する政治。

戦後の朝鮮人の蛮行

<和夫一家殺害事件ー敗戦直後の朝鮮の状況>
当時、現場にいたキム・ソンスの証言より

 

 和夫は日帝時代によく見られた、慶尚道地域の日本人地主であった。…普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一しかとらず、村人たちを家族のように考え、喜びも悲しみもともにした。…貧しい小作人が食べ物がないと哀訴すると喜んで食べ物を分けてあげ、村で誰かが亡くなると、家族全員がかけつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

 

…また、和夫の家族は周囲に孤児がいると連れて帰って面倒をみていたが、一人、二人と増えていき、1945年にはいつのまにか施設孤児院の規模にまで増えてしまった。中略

 

 その日から、マンセーの声とともに大極旗が翻り、ついに朝鮮人の世がやってきた。…
和夫が実の子のように育て、東京帝国大学にまで留学させたAを中心に、和夫の家で教育を受け成人するまで育ててもらった青年達が、鎌とツルハシ、シャベルをもって、和夫のもとに押しかけた。

 

和夫:(優しい目で)なぜこんなことを、お前達。
 A :チョッパリ!日本へ失せろ。失せろってんだ。
和夫:私がお前達に何か間違ったことをしたかい?…(涙を流して)本当に悲しいよ…帰ってやろう
 A :意味深長な目配せをBに送る(財産を全部処分して帰ったら、俺達はどうやって食ってくんだ?)
 B :死ね、チョッパリ、このくそ野郎!
 次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされ、それと同時にたくさんのシャベルと鎌が体をズタズタに引き裂き始めた。…Cは和夫の妻を見ると、彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。そして、なんと13人は、一週間前までお母さんと呼んでいた彼女を強姦し始めた。…彼女はひどい集団強姦の途中で死亡した。Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身をめった刺しにし、それでも足りずに内蔵を掻き出して撒き散らした。
 和夫にはひみこという娘がいた。…学校が終わって家に戻り両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。…その後、孤児となったひみこは食べもの乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局、彼女は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。

 

 和夫の財産は「勇猛で愛国心に燃える」朝鮮青年達の手にまるごと渡り、この事件は村人たちの沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。 中略

 

…日本が戦争に負けるとすぐ、まるで自分達が勝戦国にでもなったかのように日本を呪い、財産奪って虐殺した。…日本人をことごとく追放した後、韓国と北朝鮮の政府は強奪した日本人の財産を「敵産(敵の財産)」と呼び、堂々と分け合った。